Olive Letter

教会月報「オリーブだより」より

7月聖句「隣人を自分のように愛しなさい」

今月の聖句を、高校生の頃の私は、どうやって受け入れたらいいか悩んでいました。というのも、当時の私は不登校で、こうあるべき姿と、そうあれない自分の間に立っていたからです。要は、私は自分のことが好きじゃなかった、むしろ嫌いまであったからです。この聖句は「自分のように」愛しなさいと言います。自分さえも好きでいられない私は、どうやって隣人を愛せるんだろう。そんな資格ないんじゃないか、そんなことできないんじゃないか、そう思っていました。

でも、この聖句を何度も聞き、またこの聖句が与えられる文脈にある善きサマリア人の譬えを味わう中で、思い至ったことがあります。それは、愛せない私をも愛してくれるイエスがいる、ということ。そして、その愛を他者を用いて私に示し続けてくれている、ということ。私が私を好きでいられなくても、私の家族や友人、先生、多くの人が私を認め、大切に思ってくれていることに気づいたのです。同時に、私にも大切に思う人たちがいることも意識するようになりました。家族や友人、先生…私もまた、皆のことが大切で、愛している。資格とかじゃなく、すでに私は愛が注がれ、愛するものとして生かされていたのです。

隣人を自分のように愛しなさい。自分が愛されていること、また自分もまた愛するものであることを意識した時、この教えを体現するための一歩を歩み始めるのだと思います。

私だけでなく、当然全ての人が神の愛の御手に包まれ、様々な方法で愛を示されていることと私は信じます。その愛を示すために、私自身も用いてもらいたいと願っています。主が愛してくださるように、愛するものとして、共に生きていきましょう。

7月号・定期集会報告

① 聖書と祈りの会 [毎水曜日]

6月の祈り会から、「創世記に描かれる神の思い」と題して、資料仮説を学びつつ、聖書の読みを深める取り組みをしています。7月後半には、「聖書と賛美の時」として、聖書の言葉に紐づく賛美歌やキリスト教音楽を聴き味わう時を過ごしたいと思います。

② 教会開放日 [毎木曜日]

4月から教会開放日として、木曜日の10〜16時、教会をあけています。6月には何人かの来訪者がおられ、挨拶をして話し合う時間を過ごすことができる方もいて嬉しかったです。8月は暑くなるので、冷たいお茶をいつも常備できるようにします。気軽にお立ち寄りください。

③ 食事会 [第1日曜日など]

食事会にご参加いただき感謝です。1食300円で、材料費にプラスが出た時は食卓献金としてお納めしています。6月2日に[シチュー・パン・サラダ]、7月7日に[創作そうめん]をいただきました。次回は8月4日で、熱中症予防のため購入を考えています。

④ 虹の会 (読書会) [第3日曜日]

今年度に入り、教会総会・教区総会・就任式が立て続けに行われていて、読書会の開催ができておりません。7月8月もお休み予定ですので、次回開催予定は9月15日です。映像作品を鑑賞しましょう。ぜひ覚えてお残りください。

⑤ 入門講座 [第4日曜日]

入門講座はハイデルベルク信仰問答の解説集を読み、思いを共有する時を過ごしています。参加希望の方は牧師までお声がけください。

⑥ 教会整備活動 [第4日曜日]

6/23には、食器の選別と窓掃除を行いました。ご協力ありがとうございます。教会で使わない食器の中で状態の良いものは、引取先を今後検討したいと思います。7月は牧師が就任式に出席のため、お休みです。水曜日や木曜日に折を見て玄関掃除を中心にしたいと思うので、お時間ある方はお手伝いお願いします。シオン館南側の屋根が一部朽ちていたところを修繕しました。泉仁さんに紹介いただいたハンダさんに施工して頂きました。会堂維持献金より支払いをしています。今後とも会堂維持献金にもご協力お願いします。

⑦ 庭の整備 [不定期]

夏が近づき、雨のたびに雑草が茂るようになってきました。7月10日24日(いずれも水)9:00から草刈りをしたいと考えています。牧師は虫が怖いので一人ではなかなか進められません。ご協力お願いします。

6月の聖句「見よ、それは極めて良かった。」

今月の聖句は、聖書の最初の創世の記事で、神が造られたすべてを見て言われた言葉です。神は何もない混沌とした中に、光をおき、水や草、太陽や月と次々に創造していきました。そして生き物を置き、人間に支配させました。神が最初に造った世界は調和の取れたものだったことでしょう。
しかし、時が進むにつれて、神の思いと異なる世界へと進んでいきます。ノアの方舟の物語も、あの大洪水の発端は、堕落し、不法に満ちた世界となっていたことです。そこには「極めて良い」と言われた世界と違うものがありました。そこで神は「これらを造ったことを後悔する」といって、世界を水に沈めることにしたのです。壊してしまうしかない、そう神に思わせてしまった、人間の悪意が世界に広がっていました。そうして大洪水は起こりました。神は大洪水の後、「人に対して大地を呪うことは二度としない」とノアに言いました。この言葉を語る神の姿には、滅ぼし尽くしたことへの「後悔」が現れているように思います。神は造ったことに後悔したように、滅ぼしてしまうことも後悔される。それは神が愛そのものだからだと私は信じています。そして、神はノアに、世界を造った時と同じ言葉をかけます。それは「産めよ、増えよ、地に満ちよ」(1:28/9:1)。もう一度神は、この世界を続けることを心に決めたのです。それだけ神はこの世界を愛し、大切に思っておられます。
しかし、その後の時代も、今の時代も、人間はこの世界を愛し、大切にできているでしょうか。森林伐採に海洋汚染、品種改悪…。人間は「支配するように」という言葉を都合の良いように理解し、自分たちの所有物のようにこの世界を、自然を利用しています。人間の傲慢さは、自然を破壊しています。本来、神が語った「支配するように」という言葉は、2章の創世物語では「管理者として人間を置く」と書かれ、ニュアンスが変わります。どういうことかというと、人間は、この世界を好き勝手にしていい、といって世界に置かれたのではない。むしろこの世界が「良い」ものであり続けるために、「手入れ」するように、守るように、と人間は置かれているのです。
「見よ、それは極めて良かった」。6月は雨の季節。雨粒の雫に、紫陽花やラベンダーの花々、喜び歌うカエルたち。美しい自然は、神の造られたこの美しい世界の象徴です。神の愛された世界を守るように、と私たち人間が置かれていることを覚えて生きていきたいと思います。

三木教会牧師が按手に与りました。

2024年5月20日(月)兵庫教区総会の議場で、三木教会牧師・小林希恵は按手に与りました。日本基督教団の「教師」には二種類のものがあります。正教師と補教師です。補教師は教師検定試験に合格した「教師」であり、各教会/伝道所が任されることもありますが、「按手」を受けていないため、聖礼典(聖餐や洗礼)を行うことはできないと日本基督教団の規則では定められています。同じ「教師」でありながら二重の形になっている歪さに対し、抗議を込めてあえて補教師として歩み続けている方もいます。しかし、今なお現行の規則の在り方を変えるには至っていません。
この問題を知りつつも、私はあえて正教師となりました。それは私個人の思いだけでなく、皆様の祈りに支えられ、主に導かれたものと信じます。教師検定試験の準備の最中、皆さまには心身ともに支えていただきました。三木教会につながる皆さまが願い、祈ってくださって按手に与ることができました。心から感謝いたします。
6月2日からは定期的な聖餐式を始めました。式文は教団式文Aを基にし、様々な教派の日本語の式文の要素も取り入れ作成しています。祈りや賛美を“一緒に”し、皆で食卓を囲むことを大切にしました。ぜひ感想を教えてください。これからは毎月第1・3日曜日は、聖餐の恵みに共に与りたいと願います。

三木教会牧師・小林希恵


キリストの平和がありますように。

日本基督教団三木教会
小林 希恵(こばやし きえ)
MAIL:mikichurch1955@gmail.com
TEL:0794-82-5472


6月号・定期集会報告

① 聖書と祈りの会 [毎水曜日]

5月の祈り会から、パレスチナイスラエルについて、記事を読みながら学びを続けています。6月からは「聖書・平和・戦争」をテーマに旧約聖書を読んでいきたいと思います。

② 教会開放日 [毎木曜日]

4月から教会開放日として、木曜日の10〜16時、教会をあけています。教会での清掃や作業等お手伝いくださる方は、この時間帯にきていただけると牧師も一緒にできますので、お声がけください。

③ 食事会 [第1日曜日など]

食事会にご参加いただき感謝です。1食300円で、材料費にプラスが出た時は食卓献金としてお納めしています。5月12日[ハヤシライス]、6月2日に[シチュー・パン・サラダ]でした。次回は7月7日に[和風パスタ]を予定しています。ぜひお越しください。

④ 虹の会 (読書会) [第3日曜日]

6月の虹の会では、ドキュメンタリードラマ「イエス・キリストの生涯」を視聴する予定です。牧師が証教会の就任式にいくので、時間によっては延期します。ご了承ください。

⑤ 入門講座 [第4日曜日]

入門講座はハイデルベルク信仰問答の解説集を読み、思いを共有する時を過ごしています。参加希望の方は牧師までお声がけください。

⑥ 教会整備活動 [第4日曜日]

5月の教会整備活動では、トイレの扉の修繕と、聖餐用のグラスの洗浄を行いました。トイレのひび割れをしていた扉が綺麗になりました。聖餐グラスもきれなものを選び出し、6/2に早速使うことができました。ご協力感謝いたします。次回6/23には、夏前の大掃除をします。なお、この日も午後牧師は委員会があるため、昼食なしで13時には終了予定です。ご協力お願いいたします。

⑦ 庭の整備 [不定期]

庭の整備を徐々に進めています。6/20、6/23にも行う予定です。ご協力お願いします。

⑧ 信徒の友・こころの友

6月号が届きました。「信徒の友」購読希望者は吉川多起子さんか牧師にお声がけください

2023年度会計報告と2024年度予算

前号からの総会報告に引き続き、今号では、総会での会計報告をいたします。
三木教会は昨年度も、みなさまの献金に支えられ、歩みをすすめることができました。感謝いたします。
現在三木教会は、教勢も下がり財政が厳しい状況です。兵庫教区の互助指定献金及び謝儀保障制度によって三木教会以外の教会/伝道所の方々にもお支えをいただいています。今年度も、互助指定献金/謝儀保障制度の利用を継続させていただけることとなりました。三木教会の歩みが、教会に直接つながる方だけでなく、より多くの人々の祈りと献金によっても支えられていることは大きな恵みです。小さな群れと思いながらも、絶えず大きくあたたかな御手で主が包んでくださっていることを、対外からの支援を通して実感することができます。主に感謝しつつ、私たちも教会の歩みを続けるために、できることから取り組んでいきたいと願います。
直接三木教会とつながるみなさまにおかれましても、今年度も引き続き、お祈りと献金によって三木教会を支えていただきますようお願い申し上げます。

〈収入の部より〉
会員数の減少により、礼拝/月定献金が減少傾向にありました。
特別献金や感謝献金では、イースターが2度あったことに加え、クリスマス等みなさんが期節ごとに覚えてお献げくださったことで、予算よりも多くの献金が集められました。
教区謝儀保障によって、牧師の謝儀の半額(月額75,000円)が補填されています。
兵庫教区互助指定献金より、月額2023年度9千円、2024年度1万円を送金いただいています。

〈支出の部より〉
昨年度より修繕や清掃に力を入れてきた結果、営繕費が予算超過してしまいました。今後も営繕の働きを継続していくため、2024年度予算を多く見積もっています。
昨年度、災害時保険(教団会堂共済)の内容を見直し、教会が倒壊した場合の撤去費用のみが補填されるものに切り替えました。今年度も同様の保険を継続していく予定です。

〈積立口座より〉
会堂維持献金の昨年度集められた献金は、2月に行われた教会の庭木剪定のために用いられました。災害時保険の支払いも会堂維持献金から補填しました。
墓地献金から支払われる管理費は2年毎の清算のため、昨年度は収支共にありませんでした。



5月の聖句:「沖に漕ぎ出して、網を下ろし、漁をしなさい。」 

今月の聖句は、イエスが漁師たちにかけた言葉です。漁師たちはその日の漁を終え、イエスは漁師の一人シモンの船から、人々に話しをしていました。一通り話を終えたイエスは、今日の言葉をシモンにかけたのです。漁業のプロであるシモンは、イエスの言葉を聞いてどうしたでしょうか。シモンは、一晩漁をして成果はなかったことを伝えます。漁業が生業の漁師にとって成果がないとき、どんな気持ちだったでしょうか。落胆?悔しい?残念?諦め?ため息をつきたくなるような気持ちだったことでしょう。イライラしていたかもしれません。それでも、シモンは「お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と言われた通りに沖に漕ぎ出し、網を下ろし、漁をしました。すると、網いっぱいの魚が取れたのです。シモンも周りの漁師もびっくり!今日は不漁と諦めていただろうに…!しかし、それで物語は終わりません。シモンはイエスに言います。「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と。おそらくシモンは、イエスの言葉を信じて漁をし直したわけではなかったのでしょう。ほら見たことか、と示すために、漁をして、無理なものは無理と伝えようとしたのかもしれません。だからシモンは自らの心を恥じ、「罪深い者」と言ったのです。

シモンの姿は、私たち自身とも重なり合う気がします。得意なことに口出しをされると、イラッとしてしまうことはありませんか。ほっといてくれ、と無視したくなる心が私たちのうちにもあると思います。しかし、そんなシモンへかけたイエスの言葉=イエスの行動への招きは、いらだちを恵みへと、落胆を喜びへと変えるものでした。今、この日々の中であっても、私たちの主はいろんな人や出来事を通して、私たちに声をかけ続けておられます。その指摘や提案は、聞いた瞬間はモヤモヤするかもしれない。でもそれは、自分たちじゃ思いもしなかった恵みへとつながるヒントかもしれないのです。「沖に漕ぎ出して、網を下ろし、漁をしなさい」。イエスの言葉が私たちに向けられています。日々を生きる中でも、新しい示唆を柔軟に受け止め、主に信頼して歩むものでありたいと思います。