Olive Letter

教会月報「オリーブだより」より

6月の聖句「見よ、それは極めて良かった。」

今月の聖句は、聖書の最初の創世の記事で、神が造られたすべてを見て言われた言葉です。神は何もない混沌とした中に、光をおき、水や草、太陽や月と次々に創造していきました。そして生き物を置き、人間に支配させました。神が最初に造った世界は調和の取れたものだったことでしょう。
しかし、時が進むにつれて、神の思いと異なる世界へと進んでいきます。ノアの方舟の物語も、あの大洪水の発端は、堕落し、不法に満ちた世界となっていたことです。そこには「極めて良い」と言われた世界と違うものがありました。そこで神は「これらを造ったことを後悔する」といって、世界を水に沈めることにしたのです。壊してしまうしかない、そう神に思わせてしまった、人間の悪意が世界に広がっていました。そうして大洪水は起こりました。神は大洪水の後、「人に対して大地を呪うことは二度としない」とノアに言いました。この言葉を語る神の姿には、滅ぼし尽くしたことへの「後悔」が現れているように思います。神は造ったことに後悔したように、滅ぼしてしまうことも後悔される。それは神が愛そのものだからだと私は信じています。そして、神はノアに、世界を造った時と同じ言葉をかけます。それは「産めよ、増えよ、地に満ちよ」(1:28/9:1)。もう一度神は、この世界を続けることを心に決めたのです。それだけ神はこの世界を愛し、大切に思っておられます。
しかし、その後の時代も、今の時代も、人間はこの世界を愛し、大切にできているでしょうか。森林伐採に海洋汚染、品種改悪…。人間は「支配するように」という言葉を都合の良いように理解し、自分たちの所有物のようにこの世界を、自然を利用しています。人間の傲慢さは、自然を破壊しています。本来、神が語った「支配するように」という言葉は、2章の創世物語では「管理者として人間を置く」と書かれ、ニュアンスが変わります。どういうことかというと、人間は、この世界を好き勝手にしていい、といって世界に置かれたのではない。むしろこの世界が「良い」ものであり続けるために、「手入れ」するように、守るように、と人間は置かれているのです。
「見よ、それは極めて良かった」。6月は雨の季節。雨粒の雫に、紫陽花やラベンダーの花々、喜び歌うカエルたち。美しい自然は、神の造られたこの美しい世界の象徴です。神の愛された世界を守るように、と私たち人間が置かれていることを覚えて生きていきたいと思います。